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ルイス・カーンの光の設計手法について―ミクヴェ・イスラエル・シナゴーグにおけるケーススタディ―

1.序論
1-1.研究の目的と背景
ミカベ・イスラエル・シナゴーグは11年もの歳月をかけて設計されたが、建設には至らなかった。しかし、この作品はカーンの作品の中で重要な意味を占める作品だと考えられる。そこで、この作品を研究し、3D化することで、採光のシュミレーションを行い、カーンの設計手法の意図を読み取る。
2.ミカベ・イスラエル・シナゴーグの概要
ミカベ・イスラエル・シナゴーグのプロジェクトは1961年5月に始まり、それから7回のスタディ案の変更を経て1963年10月29日に最終案が決定した。
しかし、度重なる設計変更に伴う予算の増額により、その結果深刻な資金不足となり建設工事が始まることはなかった。
敷地はカーンの生まれ故郷であるフィラデルフィアで、カーンはユダヤ系の哲学者の血を引くことからユダヤ教の教えである「生命の木」をプランに反映させたと考えられる。
3.スタディ過程の分析
3-1.第1〜3案
光の塔はなく、直線的である。
第1案ではスッカーがなく、第2案以降スッカーは常に置かれている。
3-2.第4,5案
光の塔が入ってくる。第4案ではまだ位置は不確定だが、第5、6案では学校から第1~3案までは長方形だった学校がコの字型になる。
3−3.第6,7案
チャペルと中庭、エントランスの光の塔の間隔が一定になる。
第6案までは学校がコの字型だったが、第7案からはL字型になる。
3−4.スタディ過程でのまとめと考察
第4案で光の塔が取り入れられてから新しい案になるごとに変化していたチャペルの形が安定するなど全体の設計の指針が決定され、第6案では生命の木をつなぐ知恵の道に見立てたような、光の塔同士をつなぐ通路が登場し、平面図の形状も生命の木を連想させるような形状に変わっている。
このことから、光の塔が取り入れられることで、平面的なデザインと、それに伴う構造的なデザインが同時に決定されたことがわかる。光の塔はその空間としての役割、また採光装置としての働きだけでなく、平面的にも構造的にも大きな影響を与えていると言える。
4.採光手法の分析
4-1.ドローイングによる分析
人が入った状態を多く描いていることから、コミュニティを意識して設計していたことがわかる。
また、光の塔によってもたらされる柔らかな光も意識して描かれている。
4-2.カーン自身の言葉からの分析
カーンはミカベ・イスラエル・シナゴーグについてパースペクタ誌にこう述べている。
「外側の窓は、建物を支えていない。建物を支えているのは、平面を見てもわかるように、窓と窓の間の空間である。(中略)そこにおいては柱と梁の間にはっきりした定義をなしうる。柱は梁を意味する。壁は、梁あるいは床を集めたものだ。それらは、異なったものである。」
この言葉から、光の塔が完全に構造とは切り離されていることがわかる。
ミカベ・イスラエル・シナゴーグを支えているのは柱ではなく窓と窓の間の空間、つまりは光の塔と光の塔をつなぐ通路である。その通路の壁には、全く開口があけられていない。カーンにとって、その壁は梁、あるいは床を積み上げたものであるからである。
4−3.光の塔について
ミカベ・イスラエル・シナゴーグの前には、ソーク生物学研究所、バージニア大学の化学棟(図4-3-1)では単に採光のために光を取り入れる円柱が用いられている。
ミカベ・イスラエル・シナゴーグの設計後は光の塔を採光装置だけでなくその中の空間も豊かなものとなるよう考えられていて、それはインド経営大学、アートファインセンター、ダッカ国会議事堂(図4-3-2)に用いられている。
このことから、ミカベ・イスラエル・シナゴーグはカーンの光の設計に大きな影響を与えていると考えられる。
6.結論
6-1.まとめ
この作品の研究を始めて、カーンは光で建物を包み込むという目的を持ちながら、積極的に新しい採光装置を考え、試していたことがわかった。
ミカベ・イスラエル・シナゴーグは、その新しい採光の形を探し求める姿勢がより顕著に表れたものだと言うことができる。そのことが実際の光として再現することでよりはっきりとそのことを感じた。
6-2.展望
今回は採光について焦点を当てて研究を行ったが、構造や要素の配置についても新しい試みについても研究していくことが必要だと考えられる。

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