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チェコのキュビズム建築における分析的キュビズムの参照と引用にみられる関係性

キーワード:参照  引用  展開  収束  ポリゴン化   線  細分化

序章
1−1 研究背景
チェコにしか存在しないキュビズム建築は、ピカソやブラックが描いた分析的キュビズムを参照し引用したと言われている。当時、チェコ建築界はウィーンのオットーワーグナーやヤンコチェラの強い影響を受け、彼らの進める合理主義なモダンデザインに対し、若手の建築家たちは別の表現を求めていた。それは当時、チェコ・スロバキアが独立の予兆に満ちた時代であり、彼らが求めたのが、インターナショナルスタイルではなく、チェコ・スロバキアのアイデンティティを確立するためのナショナルスタイルを築き上げようとしたからであった。そして、1911年、若手の建築家、画家、彫刻家は、“the Group of Plastic Artisrs”を設立した。この芸術運動は1911—1925年までの短期間で収束したが、1918年(第一次世界大戦後)にキュビズム建築は突然、新たな展開を見せている。当時パヴェル・ヤナークは「建築は社会的要請に応えるべき」だと述べ、キュビズム的要素である幾何学的多面体とは相反する、スラヴ神話の民族的モチーフである円を用いたロンド・キュビズム建築へと変容した。
1−2 研究目的
本研究は主に4つに目的を定めることができ、参照、引用、展開、収束と段階分けすることが可能である。つまり、どのような建築を理想とし、それらをどのように再表現し、なぜ展開する必要があったのか、なぜ収束してしまったのかを解明することを本論の目的とする。
1−3 研究対象と方法
ⅰ)ドローイングと言説を対象に分析的キュビズムの何を参照したのかを明示する。
ⅱ)家具や工芸品、建築(3次元の物体)からどのように分析的キュビズムの手法を引用したのかを定義する。
ⅲ)転換期である1918年以降とそれ以前の建築を比較する。
ⅳ)主流となった建築運動と比較し、欠点を表出させる。
第2章 参照
2−1 分析的キュビズム
分析的キュビズムとは、ピカソが描き始めた絵画である。通常の絵画では単一の視点から得た限られた表層を描くのに対して、分析的キュビズムでは対象を複数の視点から描くことで、対象を解体し、幾何学を用い、いわば展開図のように描くことで本来表現されない部分をも単一の平面に描くことで、現実世界に実存する対象を2Dリプレゼンテーションした。ここで留意したい点として、幾何学的多面体の用い方である。キュビズム(立体主義)が対象を記号として幾何学に置き換えていたのに対して、分析的キュビズムはあくまで対象をポリゴン化、細分化していく過程で必然的に幾何学が登場していることである。
2−2 言説にみられるキュビズム建築の思想
キュビズム建築の始まりとされているキュビズム建築宣言でヤナークは「物質を破壊したり、結晶体にカットしたりして、結晶体に形を変えることを通じ、人間は物質に精神と活気を吹き込むべきだ」と述べている。
2−3 ドローイングにみられるキュビズム建築
fig7,8を見てみると、分析的キュビズムにみられるポリゴン化による対象の細分化と類似点を挙げられる。キュビズム建築の内部も結晶体の内部のような空間を目指していたことがわかる。
2−4 参照過程における仮説
キュビズム建築がただ単にピカソの分析的アプローチを建築に適用したのではなく、多視点によるポリゴン化に自らの理論を同調させ、参照したのではないかと考える。またfig7,8のポリゴン化、細分化の過程からキュビズムではなく分析的キュビズムを参照したのは明白な事象であることがわかった。
第3章 引用
3−1 家具や工芸品におけるキュビズム的要素
家具や工芸品は建築の習作としてキュビズム建築家たちはデザインしていた。そのため建築以上にキュビズム的要素が強い。面を強調する為に、線を用いたり、隣接面の色を変化させたりしている。
3−2 建築にみられるキュビズム的要素
キュビズム建築は斜線、斜面に特化している。これらのほとんどが積み上げた赤煉瓦を斜めに削り、モルタルを丁寧に塗り仕上げている。また当時最先端であったコンクリートや鉄を使用しても今までと同様に表現として使われることはなかった。fig10ではもともとバロック様式であった建物を改装する際に表層だけ手を加えていることから表層がいかに重要な位置づけであるかが確認できる。
3−3 3次元化における手法の引用の定義
ピカソが3Dを2Dリプレゼンテーションしたものを再びキュビズム建築家が3Dリプレゼンテーションする際、線や斜面などによる陰影や色のコントラストを用い、多面性をいかに強調するかに拘っていたように考えられる。
第4章 展開
4−1 円をモチーフとしたロンド・キュビズム建築
1918年、キュビズム建築はナショナルスタイルまたはロンド・キュビズム建築へと展開をみせた。ロンド・キュビズム建築は形態を細分化またはポリゴン化するキュビズム建築の結晶体に代わり、チェコの民族装飾である円やアーチや赤白の民族色を用いた建築であった。本来この建築運動の目的であったチェコのアイデンティティを確立することはできたが、キュビズムとロンド(円)が相反する概念であったのはいうまでもなく、ロンド・キュビズム建築はアール・デコといえる。またホホルはロンド・キュビズムを揶揄し、ピュリズム、機能主義へと向かった。また数年後にヤナークとゴチャールもホホルと同じ道を辿る。
第5章 収束
5−1 他の建築運動との比較でみられる特異性と必然性
ドイツ工作連盟、アムステルダム派、ディスティルなどが同時代に活躍している。アドロフ・ロースやディスティルなどが水平、垂直を好んだのに対しキュビズム建築のみが斜面、斜線を好んだという点はやや特異であるといえる。チェコの建築界も最終的な到達点はバウハウスであった。アール・ヌーヴォーの植物的なデザインから幾何学的デザインに至る一つの解として歴史的流れ
を見れば、キュビズム建築は唐突ではなく必然であると言える。
5−2 チェコ・キュビズム建築の遺した遺産と欠点
彼らの建築は、形態だけに囚われ、新しい技術や材料への関心が薄かった。そのため、機能主義者たちはその難しい手作業を批判した。またロンド・キュビズム建築、“キュビズム”という形骸化してなお、呼称され続けたのは、真にチェコにとってアイデンティティを示す言葉となりえたからであるといえる。

 

現在、未だ相関図などのビジュアルドキュメンテーションの作成ができていないため、集中的に作成し、仕上げていきたいと考えております。

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