0 序章
0.1 研究の背景
建築の古い歴史の中で土着的な建物が主流であった。時代には、明確な意図をもった曲面表現はなされていなかった。曲面の建築が目的をもって建造されたのは、古代ローマにまで遡ることができるだろう。アーチ、ドーム構造によってもたらされる大空間は、歴史の中で非常に長い間使われており現代でも広く扱われている。このような構造的な合理性から曲面を採用するのに対し、近代以降、美的配慮、新しい素材の採用、設計過程の情報化など、合理的ではない理由で曲面を扱う作品が生まれてきている。技術の発達に伴い建築の表現方法は多くの可能性を得てきた。近年では特に、建築の分野に情報技術が介入することによりその表現の幅は更に拡張しつつあるといえるだろう。
建築に曲面を用いることは、直線で建築を構成するよりも困難さを伴うことを理解しなければならない。しかし『新建築』、『a+u』に掲載されている建築作品の中で曲面表現が為されているものは、2000年から2004年まででは124作品、2005年から2009年まででは181件と、年々増加傾向にある。つまり曲面の困難さにも関わらずそこには強い欲求が存在することが伺える。0.2 研究の位置付けと目的 曲面の建築に関する既往研究の中で歴史・意匠系のものは7件ある。南方の研究1)は、意匠の立場からRCシェルの構造形式に焦点を当てており、日本における1950年以降のRCシェル構造の建築を網羅している。新井の研究2)は、架構形のリブ構造、シェル構造、材料はコンクリートに焦点を当てた研究であるが時代、作品が限定的である。坂本の研究3)と風袋の研究4)は、面表現を架構形式の操作とし、新建築1965~1995年分の作品を対象に類型化を行った研究である。他の3件を含めてみても、いずれも特定の国や構造形式を対象としており、建築における曲面表現の手法や意味を扱っているものはない。そこで本研究ではまず、設計者の視点から以下の4点について明らかにすることを目的とする。
1.曲面による空間表現の目的
2.曲面の設計過程の変化
3.素材、工法による曲面構成の違い
4.曲面建築の系譜
曲面の目的、過程、技術、変遷の4つの側面から記述することで本研究を建築の曲面表現における基礎的な研究として位置づける。1.曲面の空間表現の目的 曲面の表現は直線の表現に比べると複雑なものになる。その影響は、力学的な側面や心理的な側面など様々である。『新建築』、『a+u』の2000年以降に掲載されている作品317事例を文献中の作品説明から設計者の表現意図を分類すると図1.1のように構造、造形、空間、環境の4つに大別することが出来た。
1 曲面の空間表現目的
曲面の表現は直線の表現に比べると複雑なものになる。その影響は、力学的な側面や心理的な側面など様々である。『新建築』、『a+u』の2000年以降に掲載されている作品317事例を文献中の作品説明から設計者の表現意図を分類すると図1.1のように構造、造形、空間、環境の4つに大別することが出来た。
図1.1 曲面表現の目的別分類
1.1 合理的な構造
構造的な合理性を獲得する目的で曲面を扱う場合、そのほとんどが大空間を実現するためである。その最も古い例として古代ローマのポン・デュ・ガールのアーチ構造やパンテオンのドーム構造が挙げられる。19世紀半ばに構造を面的な力の分散によって解決するシェル構造が生まれ、初めてパンテオンのスパンを超えるものが現れた。エディアル・トロハのアルヘシラスの市場(1933)である。
1.2 表現主義的な造形
曲面を造形的に扱う場合、異化、象徴、連続などのキーワードが挙げられる。曲面を、異化した特異な形態表現として用いる手法として、エーリヒ・メンデルゾーンのアインシュタイン塔(1924)を例に挙げる。曲面で構成される形態はコンクリートの流動的な素材を活かし動的な形態表現が目的にあったと考えられる。
1.3 曲面固有の空間性
人や動物の動き、川や風の流れは主に直線ではなく曲線を描く。そのような流動的な動きに対し曲面表現は合致する。フーゴー・へーリングのガルカウ農場(1925)では曲線を描くことにより牛舎の掃除や餌やり、荷車の動きなど、一連の動きに対応する形態を実現している。
1.4 環境工学との調和
ここでは光や音、風、熱といった現象などに対して効果的に曲面が働くように配慮されているものを対象とする。球体は最小の部材、最小の表面積で最大の容積を覆うことの出来る形態である。この球体のもつ特性を生かし、敷地に最適な形態を実現したのがノーマン・フォスターのロンドン市庁舎(2002)の作品で、より表面積が小さくなる形態を与えることで、材料や熱量の移動などを効率的にしている。
1.5 論考
現代建築の2000年以降10年分を参照して大きく4つの目的に分類したが、この目的は20世紀前半にも同様の目的が参照されていると言えるだろう。構造的目的である合理的要求に加え、造形的目的や空間的目的などの意匠的、計画的要求があることがその事例数からもわかる。環境的目的は近年の技術によるシュミレーションから影響を受けており、従来の手法に加え今後も増加していくことが予想される。
2.曲面の生成と記述
0.1で述べた曲面の困難を踏まえ、ここでは、曲面を生成し記述する手法に焦点を当てて論考していく。
2.1 アナログツール
アントニオ・ガウディの吊り模型は綱状の糸に重りをつけることで得られる形態を、上下反転し建築に反映する手法である。糸は引張力しか働かないので、糸の自重しか作用しない形態は、反転することで圧縮力しか作用しない形態になる。この事を応用したコロニア・グエル教会(1898-1914)では曲面の生成には数式や方程式に頼らず10年の歳月をかけて吊り模型による実験を行った。ガウディはこの模型実験に加えさまざまな要因からその曲面形態を扱っている。(図2.1)
図2.1 設計プロセス事例1
2.2 デジタルツール
グッゲンハイム美術館ビルバオ(1997)では、その複雑な形態を、3Dスキャンし航空機の設計に用いられるCADで図面化を行っている。ここでは模型というアナログツールと3Dモデルというデジタルツールを組み合わせた設計過程を経ている。
それに対しすべての過程においてデジタル技術を利用しているのが、foa設計の横浜港大さん橋国際客船ターミナル(2002)では、設計過程のほとんどがPC上のシュミレーションで行われた。ここでは建物の外観の設計ではなく、建物内部で起こる人々の行動や、都市の地表面との連続したフロア面、異なるシステム同士を組み合わせて思考する手段として情報技術が活躍している。
2.3 論考
従来は平面、断面、立面などの2次元情報から3次元に立ち上げて考えて行くのに対し、現代では初めに3次元モデルを立ち上げそこから切りとった2次元情報を図面として出力する傾向が現れてきている。(図2.2)コンピュータ上でのCGによる設計プロセスの逆転が、部分と全体が密接な関わりをもつ有機的形態をもつ作品を生む要因のひとつとして挙げられる。
図2.2 曲面の設計プロセスまとめ
3. 曲面を実現する素材と工法
曲面を実現する際には形態を擬似曲面で構成するのか、連続した真正曲面で構成するかは素材や工法に大きな影響を受ける。逆に素材や工法から曲面の幾何学が制限される場合もある。ここでは曲面の実現という観点から論じていく.
3.1 素材と曲面
F・キャンデラのバカルディの瓶詰め工場(1959)はコンクリートの持つ可塑性を活かしHPシェル構造を実現しており、コンクリートを面的に捉え、応力を分散させている例である。川合健二の自邸(1966)はコルゲート鋼板の素材としての特性を活かして真正曲面を構成した作品で、波付けされた方向に直角に曲げを入れることで構造的な強度を得ている. 擬似曲面は,小さな部材を構成する.これには施工上の容易さや生産性を高める利点がある.煉瓦や石という素材は19世紀ごろまで長く扱われてきた.この煉瓦造を徹底して近代においても実践しているのがエラディオ・ディエステのアランティーダの教会(1960)である.ディエステは軽くて丈夫な煉瓦を天然のプレファブ素材として構造的観点からコンクリートよりも優れた素材であると述べている.
3.2 工法と曲面
曲面と工法の関係についても触れておく.カタルーニャの伝統の薄版ヴォールト工法は,ヴォールトの形状に合わせた型板にガイドとしての紐を張り,厚さ1.5cmから2.5㎝の薄い煉瓦を粘着する工法である.型枠のガイドを導線,そこに張る紐を母線として捉えれば,双曲面を容易に得られる.カタルーニャ出身のガウディはこの工法を用いて彼の作品にHP曲面を取り入れている.
3.3 論考
図3.1に示すように曲面の幾何学的性状と素材の関係を見ると、可塑性のあるコンクリートと鉄という素材が多種多様な曲面との親和性に優れていることがわかる。これは近代以降に現れるこの二つの素材の曲面表現に与えた影響が大きいことを端的ではあるが示しているといえる。また木材の柔軟さを利用し、他素材との組み合わせた曲面や、鉄より軽量で加工性の高いアルミニウムを使った事例はコストという問題はあるものの今後増加することが予想される。
図3.1 曲面の幾何学的性状と素材の関係
4. 曲面の歴史
次に曲面の建築が歴史的にどのように発達してきたかを概観する。この分析作業の過程で曲面の建築にはいくつかの系譜が存在することが判明した。
4.1 合理主義的曲面建築
合理主義的曲面建築は、構造や素材に適した形態を追求している系譜を指す。 これは有史以来存在しており、20世紀初頭まではほとんどこの種類の系譜といえる。ヴィオレ・ル・デュクの構造合理主義、形態と構造の一致という概念から始まり、その思想はA・ガウディ、E・トロハ、F・キャンデラ、E・ディエステ、S・カラトラヴァと、現代まで脈々と受け継がれている。そして近年、構造家の佐々木睦朗による自由曲面のシェルという新しい傾向が生まれている。
4.2 表現主義的曲面建築
表現主義的曲面建築とは、幾何学的な曲線や自由な曲線で構成される形態や構成による美的表現を意図している場合の系譜を指す。 アインシュタイン塔(1924)は平面図は左右対称で自由な表現は窓や基壇部と塔の接合部など、機能と関係の無いところで為されている。ロンシャンの礼拝堂(1956)では壁や屋根といった要素に分節できるエレメンタリズム的手法で微かに秩序を保っている。グッゲンハイム美術館ビルバオ(1997)ではそのような秩序はなく、機能や構造から離れた無秩序な表現が意図されている。
4.3 有機主義的曲面建築
有機主義的曲面建築とは、構造や照明、音響などの技術的側面や、人の動きなどの機能的側面の複数の要素を同時に扱い、構築的に曲面を発生させている系譜のことを指す。 伊東豊雄の瞑想の森市営斎場(2006)は計画、構造、設備、意匠などの複数の条件から最終的な屋根の曲面を決定している。このように複雑な形態であってもに合理性や客観性を与えている要因として情報技術が考えられる。しかしこの有機的な系譜は情報技術だけによる成果ではない。図4.1に示すように20世紀初頭のガウディの作品群も有機主義的系譜であると捉えられる。これは図2.1で示したようにガウディの曲面は構造、意匠、素材、工法など複数の要因を統合的に扱うことで生まれたと推測できるからである。
図4.1 曲面表現を伴った建築の歴史
5 総括・展望
現代の曲面の表現目的には構造、造形、空間、環境の4種類があり、これは近代に共通して見られるものである。そして近代には見られない現代的な曲面表現とは、デジタルツールが大きく影響している点である。これは3Dから2Dという従来の設計過程の逆転が起こっており、3次曲面の増加の要因だ。そして曲面の実現には、近代における新素材であるコンクリートと鉄という素材が大きく起因しており、現代では新たに木やアルミという素材への可能性が期待されている。そして曲面には合理主義、表現主義、有機主義という3つの系譜があることが明らかになった。以上のことから、建築における曲面表現とは、技術と芸術という両側面から表れる表現であると総括することができる。今後は本研究を足がかりとして、情報技術を介した設計過程など、焦点を絞った研究が行われることを展望として望む。