B4の長谷川です。
前期の研究内容について投稿します。
■序章 研究の背景と目的
0.1 研究の背景
秋葉原は第二次世界大戦後、技術的な兵役についていた復員兵による電子機器・部品を取り扱う露店商が、焼け野原の秋葉原に発生し始めた。その数は電機工業大学(現東京電機大学)に近い立地から次々と増え始め、街を形成するに至る。しかし、1949年(昭和24年)のGHQによる露店撤廃令により、これらの露店商は秋葉原駅のガード下に収容されるようになった。その際に組合単位でビルが設立され、そこに露店が収容される形で、現在の秋葉原の電子機器・部品街が形成されている。戦後から現在に至るまで、秋葉原は日本随一の電気街として、またオタク文化発祥の地として、他に類を見ない発展を遂げてきたことは言うまでもない。そのような発展の原点に位置付けられるのが電子機器・部品街の活躍であり、長い歴史のもと、貴重な固有な風景として現在も賑わいを見せている。
0.2 研究の目的
本研究では秋葉原の固有な風景とされる電子機器・部品街の調査・研究を行うことで、ここにおける空間特性や、テナント変容時における空間間仕切りの在り方、空間活用の特異性を明らかにしていくことを目的とする。
■第1章 研究の対象と方法
1.1 対象
研究の対象して、秋葉原駅のガード下に存在する、ラジオセンター・ラジオストア・秋葉原電波会館からなる建築群とする。これら3つの建築は各々独立しているものの、1F部分では連結し同じ業種どうし似た空間形態を所有している。また年表より、電気街誕生に大きく関わってきたものであり、約60年にわたり秋葉原の電気街を支えてきた歴史ある建物であるため、本研究の対象としてふさわしいと思われる。
1.2 方法
調査方法は、目視によるテナントの特徴の把握、実測による空間の把握とする。最終的にそれらを図面におこし、通路の幅員・テナントの平均床面積・間口平均・間仕切り等、小さなスケールで考察していくことで、対象建築郡の電子機器・部品街における空間構成や特性を明らかにしていく。
■第2章 調査結果
2.1 調査結果
a.目視調査:テナントの密度、幅員の狭い通路、上下階を繋ぐ階段、間仕切り材の存在、夜間のシャッターなど様々な特徴を発見した。
b.実測調査:図2より。
■第3章 考察
3.1 空間構成
まず、図2にも記したが、この空間の主な空間構成要素は、柱・コンクリート壁・間仕切り材となる。ここで明記しておかなければならないことは、柱・コンクリート壁は、古くからこの建築郡を支える構造体として機能しているということ。一方で、間仕切り材とは、空間を区切る、テナントの領域を決定付けるために後発的に用いられている材料であるということ。その上で、柱はほぼすべてのテナントに対して、間口を決定するように落ちている。そして、その柱に頼るようにコンクリート壁・間仕切り材・シャッターが設置されテナントの領域が決定されている。各建物ごとに見ていくと、柱の太さに違いが見られ、似た空間構成を所有しながらも、決定的に異なる建物であることが明確になる。
また、コンクリート壁の在り方関しては各建物で違いが見られる。ラジオセンターでは、通路に対して平行になるように、あくまで縦軸を直線的に遮る要素として用いられているのに対し、ラジオストア・秋葉原電波会館に関してはテナント空間を決定していくように複雑に張り巡らされている。この結果から、建物ごとに空間の柔軟性に違いがあることがわかる。
3.2 空間特性
a.床面積
秋葉原電波会館のテナント平均床面積は7.2㎡、ラジオセンター1階が4.0㎡、ラジオストアが5.0㎡、ラジオセンター2階が16.9㎡となっている。ラジオセンター2階が飛び抜けて高い数値になっているが、2階には部品というよりも若干大きめな機器類が商品として陳列されているため、このような結果になっていると思われる。他の3つを比べると、どれもテナントと言うには小さすぎるほどの床面積しか所有していないことがわかり、建物内での密度の濃さを物語っている。また、最小の床面積がラジオセンター1階であるが、各建物内でのテナントの最大床面積と最小床面積の差が一番大きいのがラジオセンター1階であり、空間の柔軟性がうかがえる。
b.間口
秋葉原電波会館の平均間口は3.1m、ラジオセンター1階が3.4m、ラジオストアが2.6m、ラジオセンター2階が4.3mとなっている。ラジオセンター2階を除き、床面積に対して間口が広くとられていることが結果からわかる。ここから少しでも間口を広くし、多くの商品を展開させようという意図がくみ取れる。また、平均床面積では最小であったラジオセンター1階が、平均間口では最大という結果が得られていることから、いかにここが熱気に包まれ賑やかな空間になっているかが想像できる。
c.間仕切り
空間構成の項目でも述べたが、対象建築郡は柱・コンクリート壁と間仕切り材という不動なものと不動ではないもので空間が構成され、建築という枠組みの中にある程度の可変性が生み出されていることがわかる。具体的に見ていくと、図2より、柱はほぼすべてのテナントの間口を決定するように落ちている。その柱に頼るように間仕切りを設置するか設置しないかで各テナントの床面積に差異が生まれている。例えば、ラジオセンター内の東洋計測器・三栄電波・アムトランス・山本無線では間仕切り材を取り除くことで、床面積と間口の広さを獲得している。しかし、間仕切り材を使用しているのはラジオセンター1階のみであり、その結果、数にして32の大きいテナントから小さいテナントを抱えることができる柔軟な空間を生み出すことができたのだと思われる。
d.通路
秋葉原電波会館・ラジオセンター間の通路幅員は1.0m、ラジオセンター間は1.8m、ラジオセンター・ラジオストア間は1.2mである。続いて、各通路に接するテナント数が、同順で9個、20個、16個となっている。この結果より、通路幅員が広ければ広いほど、それに接するテナント数も多く、狭ければ狭いほど少ないことがわかる。どの通路も、人が連れ違うのがやっとなほどの幅員しかないが、幅員の広さにテナント数が比例し、それ相応の賑わいを生み出していることがわかる。
■第4章
4.1 結論
戦後から現在に至るまで秋葉原を支え続けてきた電子機器・部品街であるが、本研究の調査・考察を通して、繁栄を保ち続ける上での様々な空間特性を発見することができた。まず、凝縮されたテナントの密度である。非常に小さなテナントが最大限の間口を確保して大量に展開されている。さらに通路の狭さが加わり、立ち飲み屋街のような熱気と親密さが生み出されている。戦後当初の露店商のような空間形態や雰囲気が現在も存分に生き続けているように感じた。小さな機器と部品を取り扱うテナントが多いためこのような空間構成が可能なのだろう。次に空間の柔軟性である。柱・コンクリート壁のように最低限の構造体に、間仕切り材を用いて可変性を生み出している空間は、テナントの変容に非常に寛容である。テナントの数の増減や、床面積や間口の拡大・縮小。このような操作をある程度容易に行うことを可能にしている柔軟性は、間違いなく繁栄の一因と言える。
以上より、秋葉原における電子機器・部品街の空間特性について述べてきた。秋葉原のバックグラウンドとして存在してきた電子機器・部品街。その繁栄の影には様々な工夫があり、現在も昔ながらのその風景は色褪せることなく賑わいを見せている。これから先、秋葉原の街がどのように変化しようとも、この風景は保たれていくはずである。
4.2 展望
本研究において、電子機器・部品“街”の空間特性は把握することができた。しかし、この空間の特徴は、更にミクロな部分であるテナント内の空間構成にまで及んでいるはずである。そこをさらに突き詰めていけば、より本研究に厚みをもたせることができるのではないだろうか。また、本対象建築郡以外に、他の比較対象を見つけることができたら、この空間の特異性を更に浮き彫りにできるはずである。そして、今回の研究を通して圧倒的に資料が欠けていたことは今後の大きな課題である。例えば、ラジオセンターの設立当初の設計図面が手に入れば、本研究でかいた図面の精度・説得力を上げることが存分に可能になる。