修士2年の早川です。修士研究の途中経過を報告致します。
1研究の背景
戦後、愛知県一宮市は繊維産業が大変盛んで数多くの鋸屋根工場が建ち並んでいた。鋸屋根工場は、織物の色を見るために直射日光の当たらない北側採光の天窓や小屋組みが連なった大空間などの独自の構造を持つ建物で地域固有の資源である。また、鋸屋根が増加した要因として木曽川が名水であった点があり、川沿い2km以内では約1130棟、全体の約55%を占めている1)。 (赤色は河岸か1km、橙色は1~2kmに立地する鋸屋根)しかし、一宮市の鋸屋根工場は昭和47年から減少の一途を辿っており2)、未利用や物置となっているものが多く、取り壊されることもある。
理由
- 昭和47年の日米繊維協定による輸出規制
- 昭和48年のオイルショック
- 毛織物製品の需要低下など慢性的な繊維不況
ノコギリ調査団によると
2010年末現在、工場として稼働していないものを含めて、一宮市内におよそ2250棟の鋸屋根工場が確認された。南半分のエリアが未調査であり、また、その後取り壊されたものもあるが、未だ2500あるいは3000棟近い鋸屋根工場が残存するものと推測される。3)
2問題意識
鋸屋根工場が有名な他の桐生市などの地域では継続、転用を試み歴史的建造物の有効な活用を行っている。桐生市の鋸屋根工場は数多くのコンバージョン事例が見られるが一宮市においては数少ない。
様々な問題点
- 桐生市に比べ民間と行政の連携が少ない。
- オーナーとユーザーの人間関係の希薄化。
- 世代交代、活用法の問題。
- 起地区などにおいては鋸屋根工場が点在している問題。
- 工場では、単独で建てられたものより母屋に併設された工場の方が多く壊されている。
- 産業の衰退や郊外化に伴い仕事場である鋸屋根工場が使われなくなった。工場は閉鎖的なものが多く活用されていないものが多い。
3既往研究、研究の位置付け
既往研究においても桐生市の鋸屋根工場の活用方法や歴史、形態に関する研究は比較的多くなされている。一方、一宮市の鋸屋根工場の歴史的研究はいくつかあるが活用法や形態に関する研究はない。
4研究の目的
- 一宮市の鋸屋根工場の特徴の明示やコンバージョン事例の桐生市との比較。
- 起地区における鋸屋根工場の配置・構造・採光面・連数・外壁仕上げ・屋根仕上げなどの分析を行う。
- コンバージョン事例や敷地対象へのヒアリングから改修方法の知見を得る。
- 分析編で起地区の特徴や問題点を抽出し設計編の提案につなげ活用法の指針を示す。
5研究の対象・方法
本研究では一宮市の起地区における鋸屋根工場を研究対象とする。また、コンバージョン事例においては一宮市内でも数少ないため、市内全ての事例を対象とする。また、桐生市との比較も行う。
- 起地区の鋸屋根工場のデータ整理→ヒアリングやフィールドワーク、文献調査。
- 設計手法の分析→フィールドワークから鋸屋根工場の配置(住空間との関係など)、構造、採光面、連数、外壁仕上げ、屋根仕上げなどの分析。
- コンバージョン事例の調査→設計者やオーナーさんへのヒアリングなどから分析する。
6分析
活用対象には3パターンあると考えられ、今後はパターン1を対象とし、敷地選定をしようと考えている。
敷地候補
7予想される結論
のこ座報告書やヒアリングなどの分析からソフト面の問題点や鋸屋根を無くさないための活動は分かった。分析編や設計編で予想される結論は以下の通りです。
- 一宮市の鋸屋根工場の特徴の明示やコンバージョン事例の桐生市との比較。
- 鋸屋根工場が点在する一宮市において、空き家となり取り壊され続ける現状。
- 鋸屋根の利用者に有用であり、問題解決のきっかけとなるようなコンバージョン提案。
- プロトタイプではなく、先導的なモデルとなるような提案。