B4小田です。春学期に取り組んだ研究の内容を投稿致します。
序章
1-1研究の背景
2016年3月31日、1人の建築家ザハ・ハディドがこの世を去った。新国立競技場問題によって日本中にその名広げることとなったはザハは、1983年香港ビクトリアピークのコンペティション優勝を機に現代まで、独自の表現力で人々を魅了し続けた建築家の1人である。中でもザハの描くドローイングは、「構造的配慮を欠いた」、「重力を無視した」といった言葉で解説される、断片化された形態が浮遊したような独特なものであった。ロシア・アヴァンギャルド時代、カジミール・マレーヴィチによって提唱されたシュプレマティズムにも影響を強く受けたとされるザハのドローイングには、どのような建築的思考が描かれているのか。
1-2研究の目的
研究の目的は以下の2点とする。
ⅰ)ドローイングに表現された建築思考を読み解く。
ⅱ)ザハにとってのドローイングの位置付けを考察する。
1-3研究の対象
ザハの独立から、3D表現が出現するまでの1983〜1996年の期間に製作された23作品についてのドローイングを対象に分析を行う。
第2章 思想的背景
2-1 シュプレマティズムとは
20世紀のロシア・アヴァンギャルドを牽引した芸術家の1人、カジミール・マレーヴィチによって提唱された絵画形態の1つである。描く対象に縛られていた従来の絵画を、その対象から解放し、純粋な感覚だけを抽象図形により表現している。対象からの解放とは、物質的環境、つまり重力と物質によって支配される環境のイデオロギーを脱した、無重力の宇宙空間を理念的根拠としている。
また、ロシア・アヴァンギャルド建築を牽引した建築家の1人であるイワン・レオニドフは、自身の作品の図面表現に白黒反転の手法を用いることにより、見る者の意識を宇宙空間に誘い込み、シュプレマティズムに通じる概念を表現していた。
図2−2 「proposal for the Lenin Institute in Moscow」イワン・レオニドフ/1927
第3章 ドローイングから読み解く建築思考
3-1 分析方法
対象のドローイングを分類化していく。
この分類化は23作品、全119枚のドローイングを図法、背景、着彩の3つの観点から行っていく。図法の観点からは5種類(全景パース、外観パース、内観パース、多視点重ね合わせパース、分解パース)に分類化する。背景の観点からは2種類(白背景、黒背景、)に分類化する。着彩の観点からは2種類(部分着彩、検討着彩)に分類化する。この3つの観点にはそれぞれにザハの建築思考の表現が隠されていると考えた。
3-2 図法の分析
ここでは図法の違いから分類化した5つのドローイングの中の内、特にザハの建築的思考が読み取れる3つの図法について論じていく。
3-2-1 全景パース
全景パースと定義付けたこれらのドローイングは、建築対象と敷地が等価に描かれたような印象を与える。これはシュプレマティズムの概念の根底にある「無対象」という考えの影響だと考えられる。ザハは建築対象、敷地それぞれを抽象化、具象化し、それらのバランスを調整することにより、特別な対象を描かないドローイングを実現したと考えられる。
3-2-2 多視点重ね合わせパース
多視点重ね合わせパースと定義付けたこれらのドローイングは、1つの建築に対しての様々な角度からの描写を、1枚のドローイングに重ね合わせて描かれているものである。1枚のドローイングに様々な視点からの実際の建築の見え方を描き、3次元的な建築を2次元のドローイングを用いて想像、検討していた様子が考察できる。
図3−3 Al Wanda Sports Centre/1988
3-2-3 分解パース
分解パースと定義付けたこれらのドローイングは建築が1つの形体に収まることなく、エレメントに分解された様子が描かれたドローイングである。3次元での建築では表現し得ないザハの建築思考を他者へ伝達するため、2次元のドローイングという手法を効果的に利用した、ザハ特有の表現が表れたドローイングである。
3-3 背景の分析(黒背景)
ここでは分類化したドローイングの内、黒背景のドローイングに着目した。これらのドローイングにはイワン・レオニドフの図面表現の影響がみられる。レオニドフは白黒反転手法を用いることにより、マレーヴィチのシュプレマティズムと通じる概念を表現していた。ザハは背景を黒くすることによってレオニドフ同様、宇宙空間(無重力空間)のような空間を表現し、分離したエレメントが浮遊している様子を表現していたと考えられる。
図3−5 Tokyo International Forum/1989
3-4 着彩の分析
ここでは着彩方法の違いから、部分着彩、検討着彩に分類化しそれらについて論じていく。
3-4-1部分着彩
ここで分類化したドローイングは主に線画に対して、部分部分に面が形成されるような着彩が施されている。これらのドローイングには、各プロジェクトにおける重要なエレメントに対して着彩していると考えられる。この着彩方法により、線画によって地に足のついた建築としての現実的表現をしつつも、エレメントは強調され、浮遊しているような非現実的表現の側面もみることができる。
3-4-2検討着彩
ここで分類化したドローイングは建築実物を考える上での、実際の見え方について着彩を用いて検討していた様子が描かれたものである。
The Peak のドローイングでは、同じ角度からのパースを昼と夜それぞれについて描き、環境の変化による建物の見え方について着彩を用いて検討しているドローイングだと考えられる。
結章
4-1 総括
ザハにとってのドローイングの位置付けとして、思考の表現手段としてのドローイングと実物検討のためのドローイングの2つがあることが考察できた。前者は建築(3次元)では表現し得ない建築に対する思考を、より建築(3次元)に近いドローイング(2次元)を用いて表現していた。つまりドローイングを『言語』のようなものとして扱っていたのではないかと考えられる。後者は建築(3次元)の仕上がり(材料、色彩、光との関係性など)を検討するため、ドローイングを『道具』のようなものとして扱っていたのではないかと考えられる。とりわけ、彼女の建築に対する思考が表現されたドローイングは前者に多くみられ、これらのドローイングからは、建築は分離した エレメントの集合体である という考えがザハの重要な建築理念であること、そしてザハの中に、無重力空間への憧れ があることを読み解くことができた。
また、ザハはアンビルド作品が多いことでも有名であるが、時系列順に各プロジェクトに対してのドローイングを見ていっても、ビルド作品とアンビルド作品とでドローイングの表現、手法が左右される様子は見られず、ザハはどのプロジェクトに対しても変わらない姿勢で設計を行っていたことがわかる。
4-2 課題と展望
ザハの近年の作品には、エレメント同士がシームレスにつながり、それらは一体化しているような印象を抱く。また、ザハの作品全体を時系列順に追っていくと、設計へのコンピューター技術の導入がザハに与えた影響は大きいと考えられる。今後、コンピューター導入後のザハの作品についても研究を行っていくことでザハという建築家の違った側面も見えてくるのではないか。