B4小林直美です。2014年前期の論文を掲載します。
1章 序論
1.1 研究の背景と目的
近代建築の三大巨匠であるル・コルビュジエは、フランスに多くの建築を残したが、その一つにフェルミニの建築群がある。1953年から始まったこの計画のうちル・コルビュジエはスタジアム、青年文化会館、集合住宅、そして教会の設計を手掛けたが、教会は幾度と重なる難題によって計画が大幅に遅れ、建設が実施される前にル・コルビュジエは死去した。その後、弟子であるジョゼ・ウブルリーらやル・コルビュジエ財団、フェルミニ市議会議員等の協力により、2006年にこのサン・ピエール教会はようやく竣工に至ったが、完成までには工期の遅れや資金難によってさまざまな変更が加えられたため、出来上がった建築は生前のル・コルビュジエ自身の建築と言えるかどうかは疑問である。
本研究では主に参考資料と文面から計画背景や空間構成の変遷を分析し、生前に残した構想案と竣工に至った再建案を比較検討することで、ル・コルビュジエの意図していた建築との差異を明らかにすることを目的とする。
1.2 研究の位置づけ
サン・ピエール教会において五つの既往研究がなされている。うち四つは千代1)による研究であり、「景観構成」を主軸に教会の生成過程やル・コルビュジエの思想についての考察がなされている。また、竣工後には姜2)の現地調査により光の現れが研究されている。
本研究では、千代の研究を踏まえた上で構想案の変貌を整理し、「図面」を中心に計画の変遷を追うことで、内部空間や周辺との関係を明らかにする。
1.3 研究方法
本研究では、第一に研究の対象であるサン・ピエール教会の概要や計画背景を参考資料に基づき整理する。第二にそれらを「図面」から分析し、最後に構想案と再建案を比較検討することで二者の建築の差異を確認する。
2章 構想案の概要と変遷
2.1 コルビュジエの生涯における位置づけ
サン・ピエール教会は、世界三大建築家と呼ばれたル・コルビュジエの後期の作品であり、長期に及ぶ計画はル・コルビュジエが死去するまで行われていた。
2.2 計画背景
ル・コルビュジエの友人であるウジェーヌ・クロディウス=プティが1953年にフェルミニ市長となり、現代都市の実験場としてフェルミニの都市開発の計画を立ち上げた。これがフェルミニ建築群の始まりであり、1955年にル・コルビュジエは、スタジアムと青少年文化センター、集合住宅、そして教会建築の設計を依頼された。その後1961年の第一案を初めとし、1963年の第五案まで計画案を提出するも、教会側の主に資金難を理由に改善案を求められた。1965年、ル・コルビュジエは教会のスタディ途中で死去し、第六案は断面図と模型のみが残されて正式な図面は書かれないままとなってしまった。この全六案の中で、経費削減のために初期案では50mあった案が最終的には36mにまで縮小した。教会側は第四案の提出後、幾度に渡り敷地変更を要求していたが、ル・コルビュジエは頑なにそれを拒んだ。このことは彼の敷地へのこだわりを象徴しておりあくまで元の敷地での計画を最後まで望んでいた。
3章 構想案の図面の分析とその変遷
第一案から第六案までの間に、資金難を主な理由に案を縮小していった。(表5.3.1)
表5.3.1 図面と年代早見表
4章 構想案と再建案の比較検討
4.1 再建案の概要
ル・コルビュジエの死後約3年、計画案は改めて取り上げられることとなり、1968年に改めて正式な契約が交わされた。計画はコルビュジエ事務所の所員であったウブルリーとルイ・ミケルが担当することとなった。ここで初めて作成された図面が前述した構想案の第六案の断面図である。1970年にはプティによって礎石が置かれたが、工事開始があまりに遅かったことで契約破棄が通告された。1973年にようやく工事が始められるも資金難によって工事は進まず途中で中断される。後の2003年に工事が再開されたときにはすでにルイ・ミケルとプティは帰らぬ人となっていた。1990年、ウブルリーは計画案を再検討するも、法律上の手続きや資金難から工事の再開には至らなかった。
事態が動いたのは2001年であり、新たに選出された市議会議員がル・コルビュジエの遺産とフェルミニ=ヴェール地区に注目してその価値を高めるための運動を始めたのだ。これをきっかけにサン・ピエール教会は再建されることとなり2002年の建築許可申請を経て2003年に工事再開、2006年に竣工に至った。ただし1階部分の基壇層部分は使途が大幅に変えられ、サンテティエンヌ近代美術館の別館となった。
4.2 図面の比較検討
構想案と再建案の図面を比較検討により、再建案は部分によって構想案の第一案から第六案までの採用箇所が異なっていることがわかる。再建案は、ル・コルビュジエが生前に残した構想案の総括であると言える。(図4.2.4.1)
図4.2.4.1 構想案と再建案の相関図
5章 結論
5.1 総括
構想案と再建案を比較検討することで、相互の関係性の知見を得ることができた。再建案はル・コルビュジエの時代による案の変化を無視したものであり、ウルブリーが良いと思った部分だけを抜粋したチグハグに繋がれた建築であるとも言うことができるだろう。そういった観点では、現場にたって指示していたのもウルブリーであるため、真にル・コルビュジエの作品であるとは言いがたい。
5.2 課題と今後の展望
本研究では作品の変遷に重きをおき、ル・コルビュジエの生涯における他の作品との関連性を考慮しなかった。今後研究するにあたって、ル・コルビュジエの他作品や時代背景についても同時に検討が必要であると考えられる。 また、これらの研究を通じて自分なりに再建案のあるべき姿を検討し、独自の再建案の提案も今後取り組みたい課題である。
参考文献
1)「ル・コルビュジエ図面集 vol.7 祈りの空間」/エシェル・アン/建築資料研究社/2011.12
2)「LE CORBUSIER COMPLETE WORKS 8set」/Birkhauser/1995.4
既往研究
1)「ル・コルビュジエのEglise Saint Pierre の制作における原型と景観構成」/千代章一郎/日本建築学会計画系論文集 第501号/1997.11
「建築的制作における場所の想起の問題 ル・コルビュジエのEglise Saint Pierreの構想過程を通して」/千代章一郎/日本建築学会計画系論文集 第519号/1999.5
「サン・ピエール教会堂建設におけるル・コルビュジエの最終構想と建築図面による復元」/千代章一郎/建築史学/2004.9
「ル・コルビュジエによるサン・ピエール教会堂の最終構想と再建案の比較検討」/千代章一郎/建築史学/2005.9
2)「サン・ピエール教会における光の現れ」/姜範熙/日本建築学会大会学術講演梗概集/2010.9