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首都圏の市街地における都市空間のゆがみに関する研究-時間地図による分析-

M2の氏家です。修士論文の概要を掲載いたします。

序.研究の概要
0.1研究の背景

街を歩いていると、近くなのに遠い場所、近くに見えるのになかなかたどり着けない場所に遭遇することはないだろうか。例えば道路の向こう側に渡りたいが横断歩道が近くになく、遠回りせざるを得ない経験は誰しもあるだろう。こうした距離感の錯誤や遠回りは、都市生活者に対し、空間のゆがみを感じさせる。遠回りさせられることは不便ではあるが、ここに都市のパラドックスのような面白さがある。一方で、本来は遠回りさせられるはずの場所に近道が存在していることで、近く感じる経験をしたことはないだろうか。例えば、赤坂駅から三分坂周辺に向かうには、TBS本社側に迂回するか、赤坂五丁目交番側に迂回するかの2つの経路がある。しかし、一ツ木公園の中の階段を使えば、ショートカットできるのである。このような場所は都市に無数に存在し、都市空間の認知をゆがませている。本研究において、「都市空間のゆがみ」を都市において遠回りさせられたりすることなどで生じる実際の歩行距離と2点間の直線距離との間に生じるズレと定義する。

ところで都市空間のゆがみを表記する手段はあるのだろうか。一般的に都市空間を表記す場合には地図が用いられる。地図は、『地表の地理的事象を一定の約束にしたがって図形などで表記したもの』と定義され、最も基本的かつ汎用的なものに国土地理院が発行する国土地理院地図がある。他にも認知地図があり、リンチのイメージマップはヒアリングにより住民のメンタルマップを抽出し、どのように都市を認知しているのかを明らかにした。杉浦康平による時間地図は時間を尺度にして都市を表記し、新たな解釈をもたらした。

0.2研究の位置付け

首都圏の都市空間については「奥」をはじめとして抽象的に理解されてきた。槇文彦はその著書2)の中で「奥行」について述べているが、その理解は非常に概念的なものである。また、都市空間には「ひだ」がある。久賀田、貝島らは商業地のひだ状の空間に対し街路と建築のアクセス、視覚、外気の共有という点から分析を行っており、建築内部の街路化について述べているが、多様な領域が多重化しているという指摘にとどまっている。また杉浦は、時間地図を作成し、交通手段の変化によって空間に「シワ」が生じたことを明らかにし、都市に新たな解釈を与えた。本研究は首都圏の市街地における空間の「ゆがみ」を可視化することで都市空間の認知に注釈を加え、その理解を一層深めることを目的とする。

0.3研究の目的

「近くなのに遠い場所」は、人の都市空間に対する認知におけるゆがみのあらわれである。このような場所は、どこで何によってもたらされるのだろうか。また、「ゆがみ」を修正しているのだろうか。このような問題意識に基づき、以下3点を目的とする。

(1)時間地図を用いた都市空間のゆがみの客観的な把握の試行。

(2)(1)で描出した時間地図の分析により、都市空間の「ゆがみ」の発生要因がもたらす影響の大小や傾向について考察すること。

(3)都市空間の「ゆがみ」を修正する手立てとその効果について論じること。

具体的な研究の進め方としては首都圏の市街地において都市空間のゆがみが発生していると考えられる、赤坂、七里ガ浜、本郷、上中里、汐留、四谷、有楽町の以上7地域を分析の対象とし、フィールドワークを行い都市の心理的印象をまとめた上で、時間地図により都市空間のゆがみを可視化することで、分析・考察を行う。

1.都市における空間認知

都市の空間認知に関する研究は様々な分野において数多くなされてきた。ここではそれら先行研究や文献の理論的整理を行う。

1.1東京における都市空間の特徴

まず、対象とする首都圏の都市空間への概念的な解釈を整理する。槇は著書で空間のひだが東京の都市空間の特徴づけていることと、奥という日本独特の空間概念について述べた。また陣内は地形や歴史的背景を踏まえ「近世の構造が現在の東京の基層に生き続けている」という形での江戸との連続性こそが、東京を際立ってユニークな街にしているという。つまり江戸から東京へ連続的に都市空間が変化してきたことにより、地割や坂の空間利用など東京固有の特徴が生まれたといえる。また地形に関しては松本らにより斜面地や階段と住宅地との関係性が明らかにされている。首都圏の都市空間は地割や地形と密接に関係しながらつくられているのだ。

1.2都市の空間解析

本論では都市の障害物に着目し分析を行う。都市の障害物に着目した先行研究を概観する。清水らによる街区集合から見た都市空間の分断に関する一連の研究では、都市を街区の集合としてとらえ、道路網の分断距離によって方向別に「行きやすさ」を施設配置の評価軸として提案した。また、今井らは障害付きボロノイ図の作成により、境界を求める手法を提案し、その有効性を検証した。本研究では都市の障害物が都市空間のゆがみに与える影響を明らかにする。

1.3都市空間と人の認知

都市空間と人の認知に関する研究は、認知のプロセスや物理的要因、また認知に基づく環境評価が多く見られる。赤木らは、多様な街路構成の都市空間における人の認知プロセスを明らかにした。また、松本らは折れ曲がり空間に対する人の期待感を明らかにしている。これらの研究の多くが視覚情報をもとに分析を行っているが、本研究では時間を尺度に分析することで認知のずれを客観的に表記する。

1.4認知地図

都市における人の認知は認知地図を用いて表記されてきた。リンチは住民へのヒアリングをもとに彼らの意識にあるイメージマップを表記した。また、木曽らによる共起性に着目したスケッチマップに関する一連の研究では、認知地図をその共起性に着目して分析することで新たな建築のデザインが既存の建築群の共起性に与えうる変化を予測できることを明らかにした。

1.5時間地図

グラフィックデザイナーである杉浦康平は1960年代末から1970年初頭にかけて図1のような「時間地図」を作成した。著書には「「時間地図」とは、「時間」を軸にして、これまで見慣れた「空間」地図を変形する試みで、「経過する時間」を「距離」に置き換えて表現する。そのためにこの作図法を、「時間地図」あるいは「時間軸変形地図」と仮称している。」とある。都市生活者が感じる近さ・遠さを可視化した点において、大変画期的であった。

図 時間地図1

図1 名古屋駅を中心とした日本列島の時間地図

 

1.6小結

これまで都市空間に対する様々な概念的解釈が示されてきたが、その漠然とした概念を可視化することは都市の新たな理解に繋がるだろう。また、都市解析や認知地図の分析はしばしば行われているが、都市空間のゆがみに着目したものは少ない。杉浦による時間地図はマクロな都市空間に着目し、空間にシワがあることを発見したが、これをよりミクロな都市空間に適用することで、都市空間のゆがみの実態を明らかにすることができるはずである。

2.調査

都市空間でゆがみが生じていると考えらえる7地域(1)~7))を選定し、実地調査を行った上で各地の心理的印象について記述する。

1)赤坂 赤坂駅の南北に傾斜地が広がる。特に三分坂方面へ向かうには大きな街区を遠回りさせられる。その影響で赤坂駅から見て三分坂方面が想像よりも遠い印象を受けた。

2)七里ガ浜 七里ガ浜駅の出入り口は線路の南側に一つあるのみである。その一方で北側斜面地に住宅地が広がる。特に駅から北西にある住宅地は駅から北へ大きく迂回しないとたどり着けないため、駅のすぐ隣にあるはずの場所が非常に遠くに感じられた。

3)上中里 京浜東北線、高崎線の2つの線路に挟まれた地域である。過密なダイヤの影響で開かずの踏切ができており、線路の向こう側は完全に分断された地域のような印象を受けた。

4)汐留 都道481号線汐留交差点付近では地下鉄、自動車、ペデストリアンデッキを自由に歩行する人、さらにその上にゆりかもめと、多彩な交通手段が見られる東京でも有数の場所である。地上の歩行者の視点に立つと、6車線の道路が都市を分断し、道路の向こう側を心理的に遠く印象付ける。

5)荒木町 中心部に窪地が広がる。窪地の中心へ向かう道は、入り組んだ狭い路地や階段が多く見られ、実際の距離よりも遠く感じられた。

6)本郷 勾配の緩い坂と階段、狭隘な路地の多い住宅地である。その先の見えない道や坂は自分の居場所をわからなくさせ、目的地までの距離感をつかみにくくさせられる。

7)有楽町 有楽町は、人を遥かに超えるスケールの街区や建物で構成され、都市の谷間を歩く感覚になる地域である。その大きさによって建物の向こう側への距離感が失われることがある。

3.時間地図を用いた都市のゆがみの記述

3.1時間地図の作成法と分析法

以下に時間地図の作成法(図2~4)と分析の方法について記述する。作成の基本とする地図は、国土地理院の基盤地図情報とする。

図2-01図3-01

図2 時間地図の作成法① 図3 時間地図の作成法②

図4-01

図4 時間地図の作成法③

1)作成範囲の決定 都市におけるトリップの起終点である駅やバス停を時間地図の始点と設定する。図2のように始点を含む300m×300mの正方形を作成範囲とする。

2)ネットワーク図の作成 図3の青線に示すように道路のネットワーク図を作成する。①道路の中心線をネットワークのエッジとする。②曲線は適宜直線に近似する。③横断歩道や歩道橋、跨線橋はその中心線に代表させる。

3)ノードのナンバリング 図3のように作成したネットワークのノードに番号を振る。

4)直線距離と経路距離の測定 インターネット地図ソフトウェア「MapFan」20)を用いて始点から各ノードまでの直線距離と最短経路距離を測定する。

5)時間地図におけるノードのプロット 始点とノードの直線距離をd、経路距離をLとする。図4に示すように始点とノードを結ぶ延長線上に始点から長さLの点をプロットする。その点を時間地図のノードとする。時間地図のノードを繋いだ図が時間地図である。

6)ゆがみ率の導出 元の街区の面積をS、時間地図の街区の面積をS’とし、両者の面積比S’/Sをゆがみ率Dとする。

上記の手続きに従って全ての分析対象地の時間地図を描いたものが図5-11である。

 図5-01 図6-01

図5 上中里における時間地図      図6 汐留における時間地図

図7-01 図8-01

       図7 七里ガ浜における時間地図   図8 荒木町における時間地図

図9-01 図10-01

  図9 本郷における時間地図      図10赤坂における時間地図

図11-01

図11 有楽町における時間地図

3.2物理的な障害物によるゆがみ

幅員の広い道路や地上の線路軌道を、人が自由に横断することはできない。つまり、それらは都市における物理的な障害物であり、ゆがみの要因である。図5に示す上中里は、線路軌道の影響で街区a、bのゆがみ率が大きいが、線路に挟まれた街区cのゆがみ率は地域全体のゆがみ率を下回っておりゆがみが偏在していることがわかる。図6に示す汐留は、始点から見て道路の向こう側にある街区d、f、gのゆがみ率が大きい。図7に示す七里ガ浜では、北に大きく迂回する必要がある街区dにおいて非常にゆがみが大きい。上記3地域の平均ゆがみ率は1.5から3まで分布し、ゆがみの大きさにはバラつきがある。

3.3地形によるゆがみ

階段や坂道は人に心理的・身体的負担を与え、ゆがみを生じさせる。図8に示す荒木町は、窪地を抜けたhの地域のゆがみが大きくなっており、図9に示す本郷では、坂の先のi、jの地域でゆがみが大きい。一方で平均ゆがみ率は他の地域よりも比較的小さく、地形が都市空間のゆがみに与える影響は物理的要因よりも心理的影響が大きいと考えられる。

3.4立ち入れない場所によるゆがみ

立ち入れない場所は都市に空白をもたらし、周辺街区における人の認知をゆがませる。図10に示す赤坂はTBS本社を含む大きな街区kがあり、始点から見てlとその奥のmは大きくゆがんでいる。図11に示す有楽町は、街区がグリッド状で、他の6地域と比べて全体的にゆがんでいるが、そのゆがみ率は大きい。平均ゆがみ率は赤坂、有楽町ともに2.5を超え、都市空間のゆがみを大きくしている。

3.5小結

ゆがみの分布と大きさの二つの観点から7地域のゆがみをまとめると、図12のようなマトリクスが描ける。物理的な障害物によるゆがみは、ゆがみをもたらす交通インフラの配置により様々である。地形によるゆがみは、他2つの要因に比べるとゆがみが小さい傾向にある。立ち入れない場所によるゆがみは大きくなる傾向がある。

図12-01

図12 地域別に見たゆがみの傾向

4.ゆがみの修正

4.1住民の工夫による修正

生活の不便を解消する歩道橋や階段などがゆがみを修正する。

1)七里ガ浜 七里ガ浜駅の西側では、住民が私設横断場を設けることで踏切の無い場所での横断を可能にしている。図13に示すように、この私設横断場がゆがみを修正する役割を果たしている。修正が無い場合のゆがみ率は10.60だが、ある場合のゆがみ率は6.33となり、ゆがみが約40%小さくなっている。

図13-01

図13 七里ガ浜における修正前後の時間地図

2)荒木町 本来窪地の反対側に行くには、等高線に沿った道を利用して迂回することになるが、窪地に設けられた階段や斜路を利用して近道を選択することができる。このように、階段や斜路は本来横断しにくい窪地に道を通し、ゆがみを修正していると考えられる。つまり、現在の荒木町はすでにゆがみが修正されている。図14のように階段や斜路が無い場合を考えると、ゆがみ率は2.41であり、階段を設けることでゆがみを約0.9%小さくしている。

図14-01

図14 荒木町における修正前後の時間地図

4.2一体的再開発による修正

地域の一体的再開発によりゆがみが修正されている場所もある。

1)汐留 貨物ターミナルの広大な土地を、巨大複合都市汐留シオサイトとして再開発した。広大な空地に高層ビル群とともに地下、地上、空中と歩行空間が作られ、ゆがみが修正されている。

2)東京ミッドタウン 軍関連施設として閉ざされていた土地を、隣接する檜町公園と一体的に複合的な街・東京ミッドタウンとして再開発した。閉ざされた土地で遠回りを余儀なくされていた地域が、広い公共的な野外空間を持つ施設群に変化したことで、周辺地域のゆがみは大きく修正されたといえるだろう。

3)六本木ヒルズ 六本木六丁目の窪地状の地域を一体的に六本木ヒルズとして再開発した。防災的にも問題のある地域であった一帯を、道路整備と沿道の建築物開発を一体的に行い、ゆとりある歩行者空間を実現させた。ゆがみが生じている地域に対し、一体的な再開発を行うことによってそのゆがみを修正した例である。

5.結論

5.1まとめ

都市空間のゆがみは次の3つの要因で生じる。①物理的障害②地形③立ち入れない場所である。ゆがみが発生している地域を時間地図により可視化することで、3つの要因による傾向について次のことが明らかになった。①によるゆがみの大きさは障害物の大きさに左右され、局所的にあらわれる。②の要因においては始点から見て勾配のある場所の奥においてゆがみが大きいが、①③の要因に比べ小さい傾向がある。③の要因においては①②の要因と比べ、ゆがみが大きい傾向がある。

さらにそれぞれの要因で生じたゆがみの修正については次のことが言える。①に関しては、歩道橋や跨線橋、またアンダーパスなどによってゆがみが修正される。②に関しては、階段などがある場合はゆがみが修正されている。③に関しては、修正手段はほとんど存在しないが、地域の一体的な再開発により公開空地として開放された結果、修正されることがある。

5.2課題と展望

本研究は都市空間のゆがみについて、物理的要因を探るにとどまったが、心理的距離感や心理的ゆがみについても留意が必要であろう。それらはアンケート調査や実験によりある程度の把握が可能である。物理的要因と心理的要因の両面からアプローチすることで、東京における全般的なゆがみが記述できると期待する。また、時間地図の作成法の課題として、建物内の通行できる場所をネットワーク図に加味することで、都市の歩行空間をより精密に記述できるのではないだろうか。ゆがみ率による分析に関しては、本研究では始点からのゆがみのみに着目しているが、ノード間の総当たりにより分析をすることで、都市全体のゆがみを概観できる可能性がある。研究の余地は残っているが、本研究が人に都市空間のゆがみを意識させ、その解明を促す一助となることを期待する。

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