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「pH」−Healing Spaceとしての宮下公園−

B4の寺島です。卒業設計の梗概を掲載いたします。

1.背景・目的

都市空間として高い潜在的な可能性をもつ、宮下公園。渋谷の谷の一番底、明治通りと山手線という東京を代表する交通インフラに挟まれた線路脇の細長い敷地に、自動車駐車場の屋根(人工地盤)が、分厚い土を載せて立派なケヤキを育み、渋谷の商業施設の真ん中にありながら、緑の谷のようになっていた。そんなかつての宮下公園は現在、100年に一度と言われる渋谷の再開発の波にのみ込まれ、2020年6月に新たに開園予定である。商業施設として同調空間化する宮下公園を、かつてのように都市の中で「裏(リトリート)」として機能し、世代の違いを超えて受け継がれ、主体の違いを超えてその場所で共有される空間へと再構築したいと考える。

2.宮下公園の歴史 *表1参照

3. 提案

渋谷の近代化を支えてきたと言える1階部分の駐車場と地下を利用して、亡くなった人々を思う祈りの空間(メモリアル空間)をつくる。屋上庭園の公園としての機能はそのままに、訪れた人々が心を休めることができる空間・建築を提案する。忙しなく人々が行き交う渋谷の街に、今はいない誰かに思いを寄せたり、自身と対峙できるような空間が現れることで様々な記憶や体験が交錯し人々が自律的にふるまうことができる余地と機会をつくる。

4. 設計の手がかりと手法

4-1「pH」:二項対立・グラデーション

pHとは、物質の酸性/アルカリ性の度合いを示すものである。宮下公園を歴史的パースペクティブから見ると、断面的にも平面的にも様々な要素が二項対立の図式をとり構成されていることが見えてくる。それらの図式からいくつかのフェーズを抽出し、宮下公園の再構築を行う。そして取り出されたフェーズが相互に作用するよう建築的操作を加えていく。

4-2「忘却(裏/表)」:失われた都市の「裏」

若者が集う街「渋谷」は訪れた人びとに雑多な印象を抱かせる。かつての宮下公園はホームレスやアウトローな人々、街を通りゆく人々、束の間の休息を求めてやってくる人々、さまざまな人々がどこか互いに遠慮しながら空間を共有している不思議な、異次元的な存在であった。そのような空間が都市には必要である。→空間の質・ムラ

4-3「創造(規制/自由)」:自治体と民間企業の協同空間

2009年、行政・自治体が所有・管理する施設を、民間企業が資金力と創造力で投資・改修するという新たな試みが行われた。しかし公園の大部分を占めるスポーツ施設は有料になり、利用者格差やアーティスト実験的活動に制限がかかる。さらに2020年6月には3階建の商業施設の他、ホテルなどが新たに併設され、宮下公園での人々のふるまいがより制限される。→多様性は間にある。

4-4「破壊(静/動)」:渋谷の象徴「宮下公園」

かつての宮下公園はアーティストが展示やパフォーマンスをしたり、ミュージシャンがライブをしたり、ファッションショーや映画の野外上映など自由な実験的な表現の場であった。また、公園の狭さや高さ、大きな木々が茂り人目につきにくい静かな空間特性からホームレスが生活をしていた。→人懐っこいかたち

4-5「沈殿(死/生)」:躍動しない地下空間

若者が集い、躍動する谷底で亡くなった人びとに思いを寄せる空間の構築。様々な思いの沈殿は知らず知らずのうちに今を生きる人々の記憶や体験の一部となり、支えとなる。忙しなく人々が行き交う渋谷の地下空間に宮下公園がもつ潜在的な可能性を生かした機能を新たに付加する。→記憶・体験

4-6「共有(公/私)」:とりこぼしてきた「共」

人々によって組織されていた宮下公園の中での遊びや気晴らしを含むふるまいは、サービスという産業の領域へ移し替えられている。人々は「個」へとばらばらにされ、「公」やマーケットが認めるシステムに依存することになる。人々が自分で判断して自律的にふるまう余地と機会が徐々に奪われている。→ふるまいの余地

4-7「浮遊(他/自)」:一人称で語ることのできる空間

渋谷は地方から見ると都市的イメージ(メディア的現実)であるが、他方で渋谷ネイティブから見るとローカルなリアル(実践的世界)であるという見方ができる。望んでいなかったことや思いもつかないような展開が起こり、ときには別物に変質する都市であると言える。その中で実感や体験が「わたし」という媒体を通して立ち現れる空間をつくる。→デコボコと「わたし」

5.予想される空間体験とその効果

5-1二項対立・グラデーション

2階の公園は晴れた日には日の光が差し、大きな木々に囲まれた大らかな空間である一方で、地下にある祈りの空間には整然としていて静寂なひっそりとした大空間が広がっている。対照的な2つの空間をつなぐ地上階ではそれぞれの空間要素を垣間見ることができ、宮下公園全体がグラデーション要素をもった建築空間となっている。

5-2空間の質・ムラ

大小様々な空間ボリュームとそれぞれの空間が異なる表情をもつことで、人々の多様なふるまいを受けとめる。

5-3多様性は間にある

人々のふるまいが制御されないよう空間同士の境界を曖昧にすることで、立ちあらわれる「間」の空間が人々の創造力をかきたてるような建築的ふるまいが生まれた。

5-4人懐っこいかたち

エッジのない空間は人々を包み込み、訪れた人びとに愛着を抱かせる。一見、都市的様相をしているが近づくと人懐っこい姿を見せる。

5-5記憶・体験

若者が自由に創造し、躍動する空間は、あらゆる人々の様々な記憶や体験に支えられ、過去・現在・未来が交錯する中に立ち現れる。

5-6ふるまいの余地

人々が自律的にふるまう余地と機会は空間に対する愛着から生まれる。自由に創造しふるまうことができる空間の多様性が他者と空間を共有することをも促す。

5-7デコボコと「わたし」

凸凹した建築が「わたし」によりそい、「わたし」という媒体を通して様々な体験や感情を抱くことができる建築的ふるまいがある。

 

*表1 宮下公園の歴史

1993年    東京都市計画による公園として開設される。当時は渋谷の川沿いの平地の公園であった。

1953年 宮下公園開設(戦後)

1961年 渋谷川の暗渠化が実施される。それに伴い隣接するJ R山手線とほぼ同じ高さに整備され、1階に駐車場、2階に公園を備えた

立体都市公園として整備される。

1964年 東京オリンピック開催。

1990年 1990年代以降、多くのホームレスが住みつく。

2006年 フットサルコート設置。

2009年 ナイキジャパンが10年間の契約で命名権を取得。有料のスポーツ公園として改修する方針が発表される。

2010年 再整備のため一時閉鎖。反対運動勃発。

2011年 フットサルコート、スケートボード場、クライミングウォール、エレベーターの設置。「宮下ナイキパーク」の開園時間が

定められ、深夜から午前中にかけて閉鎖される。(アトリエワン+東工大研究室)

2013年 渋谷区長が宮私公園の両休暇について触れ、その解決を目的とした整備の必要性を言及。

2014年 宮下公園整備事業プロポーザル提案を公募。

2015年 候補事業者(三井不動産、東急電鉄)を三井不動産に決定。

2016年 都市計画案の公告・総覧・意見書提出。

2017年 ナイキジャパンが命名権協定を途中解約。

渋谷区と三井不動産株式会社との間で新宮下公園の事業用定期借地権設定契約が締結される。

2020年 東京オリンピック開催+宮下公園リニューアル

3階建の商業施設の屋上に公園、フットサル・バスケットコート、クライミングウォール、スケート場やカフェなどを設け

るほか、敷地内にホテルを併設予定。30年間の定期借地権を設定。事業終了後は更地返還される。

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